セキスイハイムBJ平屋建築日誌

母の家(地場工務店の問題点その1)

(注)この記事はあくまでも私の母の家についての感想です。べての工務店がそうだとは言ってませんので念の為

母の家は7年ほど前、地場の工務店に頼んで建ててもらった。別途設計士に頼まず工務店直接である。木造平屋、土壁、軒が出ている和風の家。ぱっと見た目には2階建て?と勘違いするほど屋根が高い。母は2回目の家作りなので、自分の拘りで家を建てた。

父母は建設会社の下請けの仕事をしていたので、大工の評判等は詳しい。年をとって家を建てたのでシガラミはさほどなかったようだ。よい条件で家を建てただろうと思う。それでも今となっては色々と問題が多かったと個人的には思っている。

我が家は母の家を反面教師としている部分が多い。(拘って家を建てた母にそんな事を言うと叱られそうなので口が裂けても言わないが)

半面教師となった例をご紹介します。

・旗竿地問題

母の家は「建築法上の道路」と隣接していない。ただし市の所有地である通路は隣接している。通常だと、43条但し書き道路申請し建築許可をとる。ご近所さんの新築はそうして家を建てた。しかし、母の家はそうしなかった。私が父から譲ってもらった土地の一部を通路として建築許可をとった。

この問題は私が家を建てる際に発覚した。敷地内に幅2mの通路を母の家まで延ばさなければならない。母の家を再度43条但し書き道路で認めてもらえないかと思ったが、一度建築許可をとったものは覆せないらしい。

つまり、我が家は建蔽率も建物の位置も制限がかかることになった。当初90m2以上で計画していた平屋は83m2に。建物も通路より1mはなすという制限で位置も中途半端になった。駐車場や庭の設計に制限ができる。

知識がある人なら、母の年齢と空いた土地の活用を考えると43条但し書き道路で申請するのが当たり前である。なぜそれをしなかったのか?母は土地については無知だったので、問題が潜んでいるとは考えが及ばなかったらしい。父から譲ってもらった私の土地は実質上母が管理していたので私に相談の話もなかった。いまさら問いただす事はしないが、大工になぜそうしたか聞いてみたいものだ。

これで母の家を更地にしない限り、子供の代まで同様の問題が引き継がれる。これを知った時点で自分の知識では地場の工務店で直接家を建ててもらう事はあり得ないと考えました。